![]() |
ご あ い さ つ |
| 山 形 県 卓 球 協 会 会長 奥 山 淳 一 |
|
山形県卓球協会設立80周年の節目の年にあたり、ごあいさつを申し上げます。 4月5日に山形グランドホテルにおいて、山形県スポーツ協会副会長兼理事長 菅間裕晃様、日本卓球株式会社社長北岡謙一郎様のご臨席を賜り、記念式典及び祝賀会を挙行することができました。この席で日本卓球協会表彰を受けられた元会長三浦繁則様、山形県卓球協会表彰受賞の8名の皆様、東北卓球連盟表彰受賞の3名の皆様には、協会運営などに骨身を惜します携わっていただきましたことに心から感謝と敬意を表します。 さて、本協会は、昭和21年11月25日に鶴岡市での発足以来、80周年という大きな節目を迎えることができました。これも偏に卓球人はじめ関係者の皆様のご理解とご協力の賜であり改めて御礼を申し上げます。 設立当時は、終戦間もない頃で生活も困窮しており、卓球に打ち込むのにもたいへんなご苦労があったことと察しております。ラケットなど用具を揃えるのもたいへんで、卓球に打ち込む時間も限られていたことは想像できます。 そのほぼ十年後に生まれた私のことを顧みますと、近くの神社にあった卓球台に群がりみんなで一球交替で遊んでいたことが思い出されます。ボールは限られていたので、つぶれるとお湯で膨らませて、割れるとセロテープでくっつけて何回も使い、ラバーはつるつるになるまで大事に使い、楽しんでいました。小学校高学年になると公民館に卓球台が設置され、インドアで楽しめるようになりました。5年生から河北町民卓球大会に出場できるようになるので、学校の休み時間や帰宅後は、卓球台を奪い合って、町民大会の校内代表になるため、練習に励んだことが懐かしく蘇ります。 設立から今日に至るまで、山形県からもたくさんの名選手が輩出され、世界選手権には8名の方々が出場しております。その中で特に印象に残るのは、昭和44年(1969年)にミュンヘンで開催された世界選手権で小和田敏子選手(現姓:竹内)がチャンピオンに輝いたこと、2年後の昭和46年(1971年)ピンポン外交で有名な名古屋の世界選手権で、女子団体で見事中国を破っての優勝です。小和田、大場、井上の谷地三人娘が話題になりました。大場恵美子選手(現姓:大沼 県卓球協会顧問)と小和田選手は団体戦優勝の立役者であります。それ以来日本の世界での団体優勝は今だ達成されていません。井上キヨ子選手(現姓:小沢)は個人戦ベスト8と活躍されました。中学1年と3年時の2度、河北町の優勝パレードに、髙梨智明副会長等と共に参加させていただいたことが、鮮明に蘇ります。 4月28日から5月10日まで開催された世界選手権ファイナルズロンドンでは、男女ともに準優勝と気をふきましたが、またしても中国に男子57年ぶり、女子55年ぶりの優勝を阻まれました。しかしながら、卓球日本は、若い力で確実にレベルアップし、中国の後ろ姿を確かに捉えています。世界の頂点に立つのも近いなと実感しました。引き続き応援し続けていこうと意を新たにしたところです。 終わりに、設立80周年というとても意義深い節目を大切にして、今後とも知恵を出し合いながら山形卓球の発展に努めてまいります。変わらぬお力添えをいただきますよう心からお願い申し上げます。 令和8年5月 |
|